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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)4022号 判決

原告 和光鋼業株式会社

右代表者代表取締役 酒寄守

右訴訟代理人弁護士 松尾巌

被告 メーコー工業株式会社

右代表者代表取締役 水野欽次

右訴訟代理人弁護士 中嶋一麿

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告(請求の趣旨)

1  被告は原告に対して、三〇〇万円およびこれに対する昭和四六年五月二五日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告(請求の趣旨に対する答弁)

主文同旨の判決

第二当事者の主張

一  原告(請求原因)

(一)  原告は、スチール製家具類の卸売販売を業とするものであり、被告は、同家具類、特に椅子類の製造および販売を業とするものである。

(二)  原告は、昭和四一年二月六日頃、被告との間にスチール製家具類、特にスチール製椅子類の継続的売買契約(以下、本件継続的売買契約という。)を締結し、爾来、原、被告間に右売買は何ら異状なく継続的に行なわれた。その取引状況は別紙(1)の取引明細表記載の通りであって、順次その取引額を増大し、昭和四四年一一月以降同四五年一〇月までの一年間の取引額は、金一、八〇七万八、一八〇円に達し、月間平均額は金一五〇万円を超過するに至った。

(三)  (本件継続的売買契約の成立等について)

(1) 一般的に、製造業者と販売業者との間の製品の売買取引は、当事者双方が営業上相互に依存する関係にあることから、それぞれ安定した経営を持続するためには、特別の事情のない限り、両者間に継続的取引関係を持続することが要求される。したがって、かような当事者間の取引は、多くの場合、その基本に継続的売買契約が存在するものと認めるのが相当である。

(2) そこで、かかる観点から原、被告間における本件売買取引をみるに、①前記(一)のとおり、原告は、スチール製家具類の卸売販売を業とするものであり、被告は、原告の取扱うスチール製椅子類の製造および販売を業とするものであるところ、②原告はそのカタログ中に被告の製品を掲載し、これを自己の商品として販売しており、これにつき被告は何ら異議を述べたことがなく、③また原、被告間の取引は、昭和四一年二月頃以降長期にわたり継続してなされてきたものであり、その取引上の代金は月極めをもって集計され、一定の期日においてその支払がなされていた。④そして、被告は、東京スチール工業株式会社(以下、単に東京スチールという。)が昭和四五年三月頃倒産した後、原告に対し、原告との間の将来の売買につき、根抵当権の設定または取引額の減少を求める等の要求をなしたが、これらの措置は、いずれも、原、被告間に、個々の具体的取引以前に継続的売買契約が成立していたことを前提とするものであるといわざるをえない。以上①ないし④の事実を総合すれば、原、被告間に被告の製品であるスチール製の椅子につき取引が開始された当初(昭和四一年二月六日頃)において、暗黙のうちに、右両者間に、右取引開始日以降将来にわたり、原告から被告に対し、その製品の供給を求め、被告は、時価をもってこれに応じ、原告にその製品を供給することを内容とする、いわゆる継続的売買契約が成立したことが明らかである。なお、右継続的売買契約については、その存続期間の定めはなかった。

(3) ところで、継続的売買契約においては、その契約の存続期間の定めがない場合には、各当事者は、いつでも、これを解約しうるのを原則とするが、相手方が、右継続的売買契約の存続を信頼し、たとえば、売買の目的の販路の拡張その他につき、特別の費用を支出した等、特殊の事情があり、これがため継続的売買契約の解約により、予期しないような損害を被る場合には、右解約が相手方の責に帰すべき事由に基づく等、特殊の場合を除き、解約の告知者は、相手方に対し、相手方の被った損害を賠償する義務があるものと解するのが、衡平の原則に適うものというべきである。

(四)  (本件継続的売買契約の解約)

前記(二)のとおり、原、被告間の取引は、何ら異状なく行なわれていたところ、被告は、何らの理由がないのに、昭和四六年一月以降その取引額を減少したうえ、同年三月二四日、原告の注文により、折たたみ椅子三六個を出荷した以後は、原告の注文に応ぜず、毎年その取引の最盛期に入る、この重要時期において、業者として右事実を知りなが、敢えて原告との取引を一切停止するに至り、もって、暗黙に、原告との間の継続的売買契約を解約した。なお、原、被告間の右取引停止前一年間の製品別取引状況は、別紙(2)のとおりである。

(五)  (損害の発生)

原告は、被告との間に本件継続的売買契約が成立するや、右契約の存続を信頼し、被告からその製品を仕入れ得るという期待の下に、その販路を開拓するため、被告の製品のカタログを入手し、同カタログ記載の被告の製品を取り入れた原告のカタログ(甲第一号証の一)を印刷して使用したが、その後、右カタログの改訂版(甲第二号証。以下、これを改訂第一版のカタログまたは単に第一のカタログという。)を出すこととし、訴外桶野印刷所に対し、三万部を、単価金一五八円にて注文し、昭和四五年六月二〇日、同年一〇月一二日および同四六年二月一八日の三回にわけて、各一万部づつ、合計三万部の引渡を受けた。ところが、被告の前記取引停止の措置(本件継続的売買契約の解約)に対処する必要が生じたため、前記改訂第一版のカタログから、被告の製品を削除した新たな改訂版のカタログ(甲第三号証。以下、これを改訂第二版のカタログまたは単に第二のカタログという。もっとも、改訂第一版のカタログ中、一〇頁の一一番、九頁の六番、二三頁の六番、七番、七頁の一七番、一一番、一六番の各製品は、それぞれ、改訂第二版のカタログの八頁の四番、六番、二三頁の六番、七番、七頁の一四番、一一番、一三番に提載されている。)の編纂を余儀なくされ、これがために、前記第一のカタログのうち、残存する一万九千部は無用に帰し、合計金三〇〇万円以上の損害を受けた。

(六)  ところで、被告は、原告の前記第一のカタログ出版の事実を知っており、原告に対する取引の停止(前記契約の解約)により、原告が右のような損害を受けることは、事前に予想していたものであるから、被告は、原告に対し、前記損害を賠償すべき義務がある。

(七)  よって、原告は、被告に対し、前記損害金中、金三〇〇万円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和四六年五月二五日から支払ずみにいたるまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告(請求原因に対する認否)

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実のうち、昭和四四年一一月以降同四五年一〇月までの一年間の取引額が金一、八〇七万八、一八〇円で、月間平均額が金一五〇万円を超過したことは認めるが、その余の事実は否認する。もっとも、後記三(一)(1)のとおり、昭和四〇年一二月頃から、被告が原告との間でスチール製椅子類の卸売販売を開始し、右取引を続けていたことはあったが、右は継続売買契約にもとづくものではない。

(三)(1)  同(三)(1)、(3)の主張は争う。

(2)  同(三)(2)の事実のうち、①の事実および原告がそのカタログ中に被告の製品を掲載していたこと、原、被告間において取引を続けていたことがあったこと、東京スチールが昭和四五年三月倒産した後、被告から原告に対し、将来の売買につき、物的担保の設定ならびに取引の制限を求めた事実は認めるが、その余の事実はいずれも否認する。

(3)  原告主張の継続的売買契約は、次に述べるとおり、存在しないものである。原、被告間になされていた売買契約は、新聞、牛乳、ガス、水道等の売買ないし供給にみられるような一定数量(前二者)を一定期間を区切って取引するいわゆる継続的売買契約とは異なり、買主からの各注文の都度、その注文の種類、数量、単価等につき協議して、売主が納入できる限度で供給するという各個別売買契約である。いわば、売主、買主ともに、その都度協議、決定した売買をなすのである。したがって、買主は、いつでも被告以外の卸商やメーカーから自己に有利な条件で製品を購入できるものであって、原告には、現に、被告との取引中にそうした例が二、三見受けられた(例えば、椅子をセキセイ、チトセ等から購入した事例がそれである。)また、継続的売買契約に絶対といってもよい程必要とされる基本契約書というものが、原、被告間の本件売買契約には存在しなかった。結局、原告の主張は、一定年限取引が続いたという社会学的事実に素朴にとらわれ、直ちに、それを継続的売買契約という型にはめようとする錯覚に陥っているものといわなければならない。

(四)  同(四)の事実のうち、折たたみ椅子三六個を納入したこと、原告主張の頃、原、被告間の取引が停止されたことおよび右取引停止前一年間の取引状況が、別紙(2)のとおりである事実は、認めるが、その余の事実は、いずれも否認する。

(五)(1)  同(五)の事実のうち、原告が、そのカタログ中に被告の製品を掲載していたことおよび改訂第一版のカタログ中の原告主張の製品が、改訂第二版のカタログに原告主張のとおり掲載されている事実は認めるが、改訂第一版のカタログから被告の製品を削除して改訂第二版のカタログを編纂したことおよび損害発生の事実は争う。その余の事実はいずれも不知。

(2)  原告に何らの損害も生じていないことは、次に述べるとおりである。一般に、カタログの改訂は買主が、大体、一年に一回程度定期的に行ない、その際、売主には何らの相談もせず、カタログ費用の負担も売主には一切関係ないものとして、買主が勝手に出版、使用、廃棄しているのが、スチール製家具類を扱う業界の実情ないし商慣習であり、また、元来、この種のカタログの改訂は、元版を利用した簡単なさしかえによってできるものである。本件においても、改訂第一版のカタログと同第二版のカタログを比較してみると、同第二版には、新しい製品の掲載のほか、定価や企画の変更もみられるので、被告とは無関係に新カタログ作成の必要上なされた前述の定期的改訂と目すべきであって、これによって改訂第一版の残部が無駄となることは避け難いものといわなければならない。

また、カタログの使用効果の観点からすると、原告が改訂第一版のカタログの一冊でも使えばそれで同カタログを使ったことになるのであり、残部を使用するか否かは、原告の責任と負担に帰すべき筋合のものであって、残部が出たこと自体を損害ということはできない。

以上の事実によれば、原告には何らの損害も発生していないものといわざるをえない。

(六)  同(六)の事実は否認する。

(七)  同(七)は争う。

三  被告(抗弁)

(一)(1)  被告は、昭和四〇年一二月頃より、原告との間でスチール製椅子等の卸売販売を開始して、右取引を継続してきたところ、同四五年三月に至り、原告会社代表取締役酒寄守の親戚にあたる者の経営する東京スチールが倒産したことにより、原告の業績も危険な状況にあることが判明した。

(2)  そこで、被告としては、従来からの原告との取引関係上、全くその取引を中止するわけにはいかなかったが、原告の連鎖倒産による被告の被害を防止するために、同四五年三月頃、原告会社代表取締役酒寄守、被告会社代表取締役水野欽次が相互に話し合ったうえ、約一ヶ月間取引量を制限したことがあった。

(3)  その後、取引量は、大体、元の量に回復してきたが、原告の経営状況は好転しなかったので、昭和四五年中と同四六年にかけて、被告は、原告に対して、再三、今後の取引については是非とも人的、物的担保を提供するなり、取引の安全を確保するための何らかの裏付を設定されたい旨の交渉をなし、その際、担保が設定されなければ、今後の取引を中止することがある趣旨を常に伝えていたにかかわらず、原告は被告の前記要請を受け入れなかった。

(4)  これに加うるに、昭和四六年春の繁忙期には、被告会社の生産能力不足から、従来の原告以外の大手得意先への卸売も間に合わない状況であって、大巾に品切れが予想されたので、昭和四五年一二月より翌四六年二月にかけて、被告会社の東京営業所長鈴木紘治および原告会社担当営業社員栗原成男の両名が、再三にわたり、原告会社を訪づれ、原告会社代表取締役や専務取締役神某および大川金男業務部長と会って、前記状況を説明し、他社から仕入れてほしい旨の申し入れをなしたところ、原告会社の前記三名らは、右申し入れを了解し、現に、原告は、当時、他社より必要な製品を仕入れていた。

(5)  カタログの問題についても、次のとおり、原、被告間に了解ができていた。つまり、昭和四六年一月頃行なわれた原、被告間の前記(4)の話し合いの際、原告側は、カタログ改訂の意向を示し、双方で供給の間に合う製品と間に合わない製品のつき合わせをなし、被告以外の他社から同等品が購入できるものは、原告のカタログよりはずすこととなった。従来の改訂第一版のカタログが、残って無駄になるとか、右カタログの損害をどうするかという話は、皆無であった。このようにして、改訂第二版のカタログは、原、被告双方の合意のもとに作られたものであった(原告が、右カタログを被告との取引停止後に印刷したと主張するのであれば、なぜ、同カタログの印刷日付が、まだ正常な取引が行なわれていた昭和四六年二月になっているのか、そのつじつまが合わないことになる。)。

(二)  以上の次第であるから、仮に、原告主張の継続的売買契約が成立し、被告が右契約を解約した事実が認められるとしても、被告が右契約を解約したのはやむを得ない事由によるものであり、被告は右解約にもとづいて生じた損害の賠償責任を負担する理由はないし、また仮に右解約により原告が改訂第一版のカタログの残部を無駄にした事実があったとしても、この点は原、被告双方の間で相談、了解がなされていたのであるから、今となってカタログの損害を求めてくるというのは、筋の通らない話であるといわざるをえない。

四  原告(抗弁に対する認否)

(一)(1)  被告の主張(一)(1)の事実のうち、被告が、原告との間でスチール製椅子類の卸売販売を開始し、右取引を継続してきたことおよび昭和四五年三月頃東京スチールが倒産した事実は認めるが、その余の事実は争う。

(2)  同(一)(2)の事実は争う。

(3)  同(一)(3)の事実のうち、被告が、原告との間の将来の売買代金債権につき根抵当権の設定を要求した事実は認めるが、その余の事実は争う。

(4)  同(一)(4)の事実は争う。もっとも、東京スチール倒産後、被告が原告に対し取引額の減少を要求してきた事実はある。

(5)  同(一)(5)の事実は争う。

(二)  同(二)は争う。

第三証拠≪省略≫

理由

一  原告が、スチール製家具類の卸売販売を業とするものであり、被告が、同家具類、特に椅子類の製造および販売を業とするものであること、原、被告間において、スチール製椅子類の卸売販売が開始され、右取引が継続してなされたことは、当事者間に争いがない。

二  そこで、まず、原、被告間でなされた右取引が、いわゆる継続的売買契約にもとづくものであるか否かについて検討する。

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告は、昭和三六年一〇月設立されたものであるが、そのころより、被告の東京方面の代理店であった株式会社名工金属製作所と取引を開始し、同社からスチール製椅子類を仕入れて取引を続けていたところ、同四〇年暮ころ同社が倒産するに至り、同四一年被告が自ら東京に営業所を設けることとなったので、原告は、同四一年二月ころ被告と直接取引を開始し、引き続き被告の製品を扱うこととなった。なお、原、被告間で右取引をなすに際し、予め取引額や取引期間を決めたようなことはなかった。

2  原、被告間の前記取引は、被告から原告に対し、予め製品の単価見積書を送っておき、原告は以後それにもとづき被告に対し発注し(主として電話で注文する。)、被告から製品を供給するという方法がとられ、単価の改訂等の事情のない限り、前記見積書の値段で継続して取引がなされてきた。単価の改訂があった場合は、被告から新たに単価見積書が送られ、その後は、それにもとづき取引がなされるという実情であった。つまり、個々の製品の売買に際し、その都度被告が見積書を作成して、原告がそれにもとづき注文するということではなく、値段の改訂等の事情の変更のない限り、当初の見積書にもとづき、将来にわたり、引き続き取引がなされていくことが予定されていた。

3  原告は、特別の場合には、顧客から注文をとって、その注文分だけを被告に対し発注するという方法をとったこともあったが、原則としては、被告から仕入れた製品を、ある程度自己の倉庫に貯蔵しておいて、その在荷が少なくなったら、その都度、電話等で被告に注文し、その供給を受けていた。なお、代金の支払時期は、毎月二〇日締めの翌月一五日払いであったが、その支払手段については、手形決済により得るというほか特段の取り決めもなく、昭和四五年ころの時点では、原告振出の手形(いわゆる自己手形)が約三分の二、いわゆる回し手形が約三分の一であって、自己手形の比率が大きかった。

4  前記取引を開始した昭和四一年二月から後記取引停止に至る同四六年三月までの約五年間の原、被告間の取引額ないしその取引の状況は、別紙(1)のとおりであって、漸次、その取引額は増大した。昭和四四年一一月以降、同四五年一〇月までの一年間の総取引額は、金一、八〇七万八、一八〇円に達し、月間平均額は、金一五〇万円を超過するに至った(この事実は当事者間に争いがない。)

5  原告は、スチール製椅子の他にも、机、ロッカー、金庫等のスチール製品を扱っておるものであるが、スチール製椅子については、いくつかある製造業者のうち被告からのみ仕入れていた。ただ、昭和四四、五年ごろより、需要の増えた肘付きの椅子は、被告に製品が少なかったこともあって、一部チトセという会社からも仕入れることになったが、原告の扱うスチール製椅子全体に占める割合は、被告の製品の方が大きかった。

6  原告の顧客に対する商品販売方法は、原則として、いわゆるカタログ販売であって、顧客にカタログを見せて、それにもとづく注文により品物を届ける方式であった(原告のみならず、一般にスチール製家具類の業界における商品販売方法が、原則として、カタログ販売であることは、弁論の全趣旨により認められるところである。)。そのカタログの作成は、原告の方で、スタジオに直接品物を持ち込んで撮影したり、被告から製品を写した写真のネガを借りてきて作るという方法をとっていたが、時には、被告の方から、この製品がよく売れるから、これを原告のカタログに掲載してくれといって、原告の方へ持ってくることもあった。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実に、前記一の事実および後記(三1、4、5)認定の被告から原告に対して将来の取引についての支払条件や物的担保設定の要求ならびに取引制限等の申し入れがなされた事実をも併せて勘案すれば、原、被告間に取引が開始された昭和四一年二月ごろ、将来にわたり、原告から被告に対し、その製造するスチール製椅子類の供給を求め、被告は、これに応じ一定の代金をもって原告に引き続き供給することを内容とし、かつ、期間の定めのない、いわゆる継続的売買契約(以下、本件継続的売買契約という。)が成立したものと認めることができる。

ところで被告は、継続的売買契約である場合は、必らず基本契約書が存在すべきものであるところ、本件原、被告間の取引には基本契約書が存在せず、したがって右取引は、各個別売買契約であったものであると主張し、≪証拠省略≫によれば、被告は、他の取引先との間に基本契約書ないし継続的商品取引契約書等を取り交しているが、原、被告間の取引にはこの種の契約書が存在しない事実が認められるが、ある取引が継続的売買契約であるか否かは、その取引の種類、態様、支払手段、契約当事者の意思等によって定まるものであって、契約書の存否によって左右されるものではないというべきであるから、結局被告の前記主張は採るを得ない。

三  次に、本件継続的売買契約にもとづく取引の停止ならびに右停止に至った経緯について検討する。

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原、被告間の取引が昭和四一年二月に開始された後、その取引額は、別紙(1)のとおり、漸次、増大する傾向を辿り、昭和四五年ごろまで順調に取引が続けられていたことは、前記認定(二4)のとおりであるが、原告会社代表取締役酒寄守の義父が経営する東京スチール(原告会社代表取締役酒寄守は一時東京スチールの取締役になっていたことがあり、また、東京スチールの代表取締役は原告会社の株主でもあるという関係があった。)が、昭和四五年三月二三日不渡手形を出して倒産した直後に(東京スチールがそのころ倒産した事実は、当事者間に争いがない。)、被告から原告に対し、出荷停止の通告がなされた。そこで、原告会社代表取締役酒寄守は、東京スチール倒産後一、二ヶ月の間に、被告会社代表取締役水野欽次に対し取引の継続を懇請した結果、代金の支払方法につき、今後は、原告振出の手形(自己手形)の限度額を総額二〇〇万円に設定し(四ヶ月サイトの手形であれば、一ヶ月五〇万円の枠内ということとする。)、それ以上の分は、いわゆる回し手形で決済することとして、取引を継続することとなった。

2  しかし、昭和四五年八月一日被告会社の東京営業所長が神谷某から鈴木紘治に代わったころより、被告は原告との取引を手控えはじめ、同年九月以降の取引額は非常に減少する状況となった(詳細は後記6のとおりである。)。

3  昭和四五年秋から暮にかけて、東京スチールが倒産したことにより、同社と融通手形交換の関係があると考えられた原告も連鎖倒産するのではないかといううわさが業界内部や被告の取引銀行に流れるに至った。被告は、東京スチールの倒産により同社により同社に対する百数十万円の商品代金債権が回収不能となり損害を蒙った上、かねて興信所の調査から確実な会社であるとの認識をもっていた東京スチールが倒産したことや、前記の原告に関する悪いうわさを耳にしたこと等から、原告の信用度に強い懸念を抱き、自己の取引銀行(岡崎信用金庫安城支店)を介して原告の事業内容を調査したところ、その取引状況は芳しくないとの情報を得た。また、昭和四五年夏場ころから、スチール家具業界は、一般に、景気が下り坂となり、同年一〇月には、同家具類の卸売業者である株式会社ニッコウが倒産し、他にも倒産会社ががでるのではないかという先行き不安があった。更に、右の事情に加うるに、被告は、昭和四四年四月二五日から、大手商社の株式会社内田洋行との間に、スチール製椅子等の継続的売買取引を開始し、その当時被告の製造全商品の約三五パーセント位の製品を同社に供給することとなったが、右取引の規模は漸次拡大し、現在では製造全商品の五五パーセントを株式会社内田洋行に納入するに至っている。このような大口取引先を獲得した被告は、その生産能力の範囲で当該取引を完遂していく上において従来取引関係を結んでいた業者のうち前述のように信用度の懸念される原告との取引については(従来から原告との間で取引を継続してきた経緯からして、直ちに取引を停止することは好ましくないのでこの措置はとらないが、)今後、取引の安全が確保されない限り、徐々に取引額を絞る等して、ゆくゆくは原告との取引を解消しようという方針を決定した。その時期は昭和四五年下半期であった。

4  昭和四五年一一月末か一二月初めころ、被告会社の東京営業所長鈴木紘治と原告会社担当営業社員栗原成男の両名は、物的担保の設定を受けよとの被告会社代表取締役水野欽次の指示にもとづき、原告会社常務取締役酒寄勲(旧姓中台)に対し「原告会社について、いろいろうわさが流れており、今後安心して取引をしたいので、物的担保を是非とも設定してほしい。」旨の申し入れをなしたところ(物的担保の設定を申し入れた事実は、当事者間に争いがない。)、右酒寄常務は、「担保を入れてまで取引をする気はない。現にどこも担保を入れての取引はしていない。」旨返答をなし、右担保設定の申し入れを拒否した(原告は、東京スチール倒産後、間仕切りの業者である株式会社コマツパーティションから担保の設定を求められたのに対して、同様に拒否したが、他方、デスクの製造業者である株式会社メイコーに対しては、他の会社((ひだスチール))の倒産によってデスクの仕入が不安定になってきたということもあって、原告の方から自主的に申し出て、原告所有の宅地および建物につき昭和四六年三月二〇日根抵当権設定登記((原因は同四五年九月六日商品取引契約の同日設定契約。債権極度額は金二、〇〇〇万円))を経由した。)。これがため、被告は原告との取引を打ち切る意思を強めた。

5  昭和四六年一月一〇日ごろ、前記鈴木と栗原の両名は、年始の挨拶を兼ねて原告会社へ赴き、同社代表取締役酒寄守に対し、「株式会社内田洋行との取引も始まっているので、三、四月の需要期には品切れが予想され、品物が間に合わないから、極力他社から仕入れる方法をとってくれ。」と申し入れ、更に、同年一月二〇日すぎごろ前記両名は、再度、原告会社を訪ずれ、同社の大川金男業務部長と神専務に会い、カタログを真ん中において、つき合わせをしながら、「事務用回転椅子(被告製品番号RA410・RA7・RB4)の三点位は間に合うが、他の製品は三、四月の需要期になったら間に合いそうもないから、極力チトセやセキセイ等、他社から仕入れてほしい。」旨申し入れをなした(被告が、原告に対し、取引の制限を求めた事実は、当事者間に争いがない。)。

6  ところで、原告会社は、年々四〇パーセント位の売上の上昇があり、それに応じて被告に対する発注も増やしてきていたが、昭和四五年九月以降原告の発注数量に対して、被告からの入荷が非常に減少してきたため、その時点で被告が原告との取引を段々にやめていこうとしているのではないかと察知したが、翌四六年になってからも、引き続き、入荷が減少してきたので、遠からず被告から取引を停止されるものと予想した。

取引減少の状況は別紙(1)のとおりであって、昭和四五年八月以前数ヶ月の月間引高は、ほとんど一五〇万円を超過していたものが、同年九月には一四〇万円を割り、その後一二月にかろうじて一〇〇万円をやや超えたほかは、八〇万円台以下に落ち込み、取引停止直前の同四六年三月は、わずか一九万六、七〇〇円であった。なお、取引停止前一年間の製品別納入状況は、別紙(2)のとおりである(この事実は、当事者間に争いがない。)。

しかして、原告会社代表取締役酒寄守は、被告からのスチール製椅子類の供給がなくなると、当時使用していた被告の製品が掲載してある改訂第一版のカタログの効用がほとんど喪失するものと考え、同四六年二月下旬ごろ、急遽、右カタログの改訂を決定、企画し、同カタログから被告の製品を削除した(ただし、被告の製品のうち、請求原因(五)記載の七点の製品は、後記改訂第二版のカタログに掲載されている。この事実は、当事者間に争いがない。右の七点の製品は、前記5の昭和四六年一月二〇日すぎごろ鈴木らがなした申し入れの際に、大川、神の両名が改訂後のカタログに残す旨表明した製品である。但し、これに対し、鈴木らが右の七点の供給を確約したわけではない。)改訂第二版のカタログの印刷を桶野印刷所に依頼し、同年四月一日に右カタログの一部ができあがった。

7  昭和四六年三月二四日原告の注文により、被告が折たたみ椅子三六個を納入した(右事実は、当事者間に争いがない。)のを最後として、その後、原告の方から被告に対して注文をしても、被告は、一切納入しなくなり、それ以後、原、被告間の取引は停止した(この取引が停止されたことについては、当事者間に争いがない。)。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

四  前記三7で認定した事実によれば、昭和四六年三月二四日すぎごろ、被告は、原告との間の本件継続的売買契約(これが期間の定めのないものであることは、前記二で認定したとおりである。)を、将来に向って、黙示的に解除(告知)したものと認めることができる。

そこで、以下、被告の抗弁について検討することとする。

1  期間の定めのない継続的売買契約においては、原則として、当事者の一方は、いつでも右契約を将来に向って解除しうるものというべきであるが、当該契約の種類、性質に応じて、相当の予告期間を設けるとか、相手方にとって不利でない時期にこれをなすべきものであって、予告期間を設けず、あるいは相手方にとって不利な時期に解除をした当事者は、右解除により相手方に生じた損害の賠償をすべきものである。

しかし、やむを得ない事由がある場合は、たとえ前記予告期間を置かず、また、相手方にとって不利な時期において解除をしても、解除をした当事者は、右解除により相手方に生じた損害の賠償義務を負わないものというべきである。

2  そこで、かかる観点から、以下、本件を検討してみるのに、まず、本件全証拠によるも、本件継続的売買契約の解除にあたり、被告が、原告に対し、相当の予告期間を設けたとの事実は認めることができない。

また、スチール家具の需要期は、毎年三、四月ごろであるから、本件解除は、原告にとって不利な時期における解除であると、一応、いうことができないことはない。しかし、前記三で認定の本件解除に至るまでの経緯を具さに検討すれば、本件解除は、予告期間こそ設けなかったが決して不意打ち的なものではなく、原告にとって不利な時期になされたとしても、やむを得ない事由がある場合の解除としてその効力を認めることができるものである。

3  つまり、前記三1、3、4、5で認定したとおり、被告は東京スチールの倒産(昭和四五年三月二三日)後、一、二ヶ月の間に、まず手形による支払条件を原告の了解のもとに厳しくし、更に、原告の信用状態の評価が芳ばしくなくなった昭和四五年一一月末から一二月初めごろには、物的担保設定の要求をなし、翌四六年一月になってから、取引量や製品の種類につき、その制限を申入れたのであり、被告が、かかる措置を原告に対して順次とった理由の主たるものは、原告と倒産した東京スチールとの関係および業界や取引銀行における原告に関する評価からして、原告の信用度が低落したとの判断(この原告の信用状態についての判断は、前記三3で認定の事実によれば、単なる主観的な憶測といい切ることはできない。)があったので、そのまま原告が倒産に落ち込んだ場合に蒙るであろう損害を未然に防止しようとするためであり、それにもかかわらず、被告が、取引停止(解除)の措置を直ちにとらなかったのは、従前から続けてきた原告との取引関係を考えて、妥当でないと判断したからである。他方において、前記三6で認定したとおり、昭和四五年九月から急速に取引量が減少してきたことにより、原告は被告が、いずれ取引を停止するのではないかということを察知し、昭和四六年一月になってからも入荷減少が続いたので、遠からず、被告から取引を停止されるものと予想し、現に、昭和四六年二月下旬ごろ、急遽、使用中のカタログの改訂準備にとりかかっているのである。以上の事実経過によれば、本件では、解除の予告期間はなかったけれども、原告が、将来予想される解除に対処しようと思えばできるぐらいの準備期間は、あったものということができる。

4  次に、例年三、四月の需要期は、原告にとってそうであるのみならず、スチール製品の製造および販売を業とする被告にとっても、営業上きわめて重要な期である。そして、前記三3で認定したとおり、被告は、昭和四四年四月二五日から大手商社の内田洋行との間に取引を開始し、当時、被告の全製品の約三五パーセント位を右内田が占めており、その割合は逐次増大傾向を辿っていたのであるから、需要期たる昭和四六年三、四月ごろには、通常時よりも相当多く供給しなければならなかったことは明らかである。このような状況の下において、被告が信用状態低落と判断し、倒産による危険さえ危惧される原告に対し、その求めるままに製品を供給することをやめ、その分を大手の他の顧客に供給しようとすることも、また営利企業として無理からぬところといわなければならない。そして、前記三4で認定したとおり、被告の物的担保設定の要求を拒否し、結局これに応じなかった原告が、デスクを扱っている株式会社メイコーに対しては、根抵当権を設定し、登記を経由している事実も看過できないところである。

5  前記3、4の事情を併せて勘案すれば、被告が、昭和四六年三月二四日すぎごろなした前記解除は、やむを得ない事由によるものということができ、他に、被告が、原告に不利なる時期を特にねらったり、また、原告に対して、使用中のカタログを不用に帰せしめる等損害を与えることを目的として、前記解除をなしたとの事情は、本件全証拠によるも認められない。したがって、被告は、原告に対して、右解除をなしたことによるいかなる損害賠償義務をも、負うべきいわれはないものといわなければならない。

五  そうとすれば、その余の点につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蕪山厳 裁判官 中田昭孝 中村謙二郎)

〈以下省略〉

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